観光サイクリングin小川町の下見

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小川町駅には東武鉄道とJRが乗り入れています。
東武東上本線の当駅は大正12年(1923)に開業、鉄道省八高線の当駅は昭和9年(1934)に開業しました。2本の鉄道ともに逸話が残っています。まず東武東上本線。当初の計画では小川町を通らずに八和田村(関越の嵐山PA付近)を通るルートでした。小川町は盆地のため山を開削する必要があったからです。しかし明治・大正期の小川町は地場産業が盛んで埼玉でも有数の町。東武鉄道の株式を小川町の商工業者が大量に購入したのだそうです。その甲斐があり小川町に東武鉄道が通るようになりました。武蔵嵐山駅から小川町駅の曲がりくねった軌道を見るだけでも工事の大変さが伝わります。八高線は八王子〜高麗川間が平成8年(1996)と最近に電化されますが、高麗川〜高崎はディーゼルで走るローカル色の強い路線のため鉄道マニアから人気です。現在では運行本数も少なく軽く扱われがちな八高線ですが、国の軍事的必要性から計画された重要な路線だったのです。横浜線と上信越線に連結することで、東京都心部を通らずに太平洋側と日本海側を結ぶことができるからです。戦時中は輸送路線として重要な役割を果たしたそうです。

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小川町といえば和紙。平成26年(2014)、ユネスコ文化遺産に「和紙 日本の手漉和紙技術」が登録されました。今回登録されたのは「細川紙(ほそかわし)」(埼玉県小川町、東秩父)、「石州半紙(せきしゅうばんし)」(島根県浜田市)、「本美濃紙(ほんみのし)」(岐阜県美濃市)の3つの和紙です。石州半紙は平成21年(2009)に無形文化遺産に登録済みでしたが、日本政府が提案し細川紙と本美濃紙を加えた3つが改めて登録。さて、この3つの和紙は他の和紙と何が違うのでしょう。和紙の原料は、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)などのほか、パイナップルや竹、木材パルプなどが使われます。今回登録された3つの和紙は楮のみを原料とします。楮は光沢があり、雁皮や三椏に比べると繊維が長いため、美しい和紙を漉くことができるからです。また、薬品による漂白を行わないことも特徴です。塩素漂白されたものは、紫外線によって黄ばみができますが、塩素漂白をしないものは、紫外線により少しずつ白みを増すそうです。伝統的な製法を受け継いでいたからこその品質の高さなのですね。

さて、ユネスコ文化遺産に登録された大きな要因として、日本固有の「流し漉き」という技法が挙げられます。紙は西暦105年に中国で発明されます。日本では邪馬台国の卑弥呼が女王になった頃ですね。そして西暦300〜600年に朝鮮に伝わり、西暦610年頃に高句麗の僧である曇徴(どんちょう)によって日本に伝わります(注:曇徴以前に製紙技術が伝わっていた可能性もあり)。古代中国で紙が発明された頃からの「溜め漉き」の技法とは異なり、「流し漉き」はトロロアオイの根などのネリ(楮の繊維を均一に水の中に広げる役割)を加え、簀桁で何回も紙料液を汲み込み揺り動かす技法。紙の繊維をより絡めやすく強度を上げられるそうです。

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まずは埼玉伝統工芸会館を見学。ここは小川和紙をはじめ、埼玉県指定の伝統的手工芸品が展示されています。まずはサクッと触れてみましょう。

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さて、小川和紙の歴史について。
天平13年(741)には諸国に国分寺ができ仏教の経典を写す写経が広まります。同じ時期に小川町の近くの都幾川に慈光寺が創建され写経が盛んに行われ、大量の和紙が必要だったことから周辺には紙郷が多くなります。武蔵国で和紙が生産されていたことを示す最古の資料は、正倉院に残る「武蔵国紙480帳、簀50管」という記録が宝亀5年(774)に。

登録された「細川紙」の技術が小川町に入ってきたのが江戸時代の頃。紀伊は高野山山麓の細川村からやってきたお坊さんが作り方を伝授したそうです。小川町は大消費地である江戸から近いので和紙作りは発展、逆に細川村の細川紙は衰退していきました。

細川紙の工程。
楮きり(70cmくらいに切り揃える)、楮かしき・楮むき(大きな釜で蒸し表皮をむき取る)、楮ひき(表皮の黒い外皮を削り取って白皮にする)、楮煮(釜で煮てソーダ灰を入れることで白皮を柔らかくし不純物を取り除く)、楮さらし(水につけてあく抜きと日光漂白をする)、楮打ち(白皮の繊維をほぐすため棒で叩く)、とろ叩き(トロロアオイの根を叩いてネリを抽出する)、紙漉き(楮、ネリ、水を簀桁を使い紙を漉く)、紙干し(脱水した紙を1枚ずつはがし紙板(現在は鉄板が多いそう)に貼付けて天日乾燥する)、紙そろえ(乾燥した紙を室内で選別する)という流れ。

小川町には「ぴっかり千両」という言葉があるのですが、冬の晴天の日は紙を天日干しして大きな儲けになったところからきたそうです。

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小川町は山に囲まれた盆地。富士山や仙元山(浅間)など富士に関連する名があり、小川町の人々の富士信仰の高さがうかがえます。せっかくですので小川町駅のすぐ北に聳える富士山を登ってみましょう。9合目くらいまでは自転車でヒルクライムできます。

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最後の山道は歩くこと3分ほどで山頂に到着です。

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富士山を下山したら仙覚律師遺跡へ。昭和3年(1928)に仙覚の業績を讃え、大きな石碑が建立されました。仙覚は鎌倉時代の僧侶で万葉集研究に一生を捧げました。万葉集は7世紀後半から8世紀後半に編まれた日本に現存する最古の和歌集です。万葉歌は、仮名文字がなかった時代ですので、歌は全て漢字による大変難しいもの。平安時代にカナ文字が定着したため読むことができなくなってしまいました。現代の私達が万葉集を読むことができるのは仙覚による研究のお陰なのです。その仙覚が本格的な万葉集の解読書である「万葉集註釈」を完成させたのが、ここ小川町なのです。

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仙覚律師遺跡が建っているのは中城跡。土塁などはっきりと観察することができます。

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近くにある仁治3年(1242)創建の大梅寺(だいばいじ)へ。

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ここには1枚の石材に板碑二基分を掘り出した双式板碑があります。
双式板碑は埼玉県内に12基確認されていて、そのうち8基が小川町に所在しています。
この板碑は頂部が2つの山形になっているのが特徴で、こうした形態は県内に2基
しか確認されていません。中央に暦応4年(1341)の銘があります。

板碑は中世(鎌倉〜戦国時代)に造られた石製の供養塔婆の1種。亡くなった人の供養、造立者自身が死後の冥福、現世利益を願うために造立されたと考えられています。注目すべきは石材です。板碑の石は緑泥片岩で小川町下里付近で採掘されたものが関東に広く流通されたのです。「小川町といえば板碑!」と言ってもいいでしょう。

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穴八幡古墳へ。7世紀後半の方墳です。四角ってことね。方墳は特別な有力者に採用された古墳の形なので、かなりの権力を持った豪族の長などの墓と推測されています。大規模な二重周溝があるのが珍しいポイント。石室入り口は緑泥片岩が使われています。

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小川町は武蔵の小京都といわれる街並もまた味わい深い。
まずは福助。安政2年(1855)創業の老舗。建物は明治時代に建てられた木造3階建。元々は旅館でしたが、2代目の頃に遊女から秘伝のタレを教えてもらい鰻料理を出すようになったそう。文豪の田山花袋も泊まった老舗です。

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二葉。延享5年(1748)創業の割烹旅館。本館は昭和8年(1933)に建築。
江戸城の無血開城の立役者である山岡鉄舟ゆかりの宿です。剣・禅・書の達人と知られた山岡鉄舟は和紙を求めて小川町にたびたび来たのでしょうか。昭和14年(1939)に宮内庁に指定された「日本五大名飯」(サヨリめし(岐阜県可児)、深川めし(東京都深川)、うずめめし(島根県津和野町)、かやくめし(大阪府難波)、忠七めし(埼玉県小川町))のひとつに選ばれた忠七(ちゅうしち)めしの命名を山岡鉄舟がしたのだそう。

山岡鉄舟の面白い逸話に「木村屋のあんパンを毎日食べていた」というのがあります。
明治8年(1875)に明治天皇に山岡鉄舟が木村屋のあんパンを献上したそうですから信憑性は高いかも。でも毎日は食べ過ぎだよね。鉄舟は188cm、105kgと巨漢だったらしい。

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昼食は武州めん本店。武州めんは創業100余年の老舗。武州めん本店は製麺所の前にあり、うどんや蕎麦などコスパ良くいただくことができます。

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手打ちのうどん。コシがあり、とても美味しいですよ。

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昼食後は自転車を漕ぎまくります。
まずは「下里・青山板碑製作遺跡」へ。山への入り口には馬頭観音の石碑がズラリ。
岩肌の美しい緑泥片岩が出迎えてくれます。

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下里・青山板碑製作遺跡に到着。ズリ(緑泥片岩の不用石材)のある山道を登る。

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ズリ平場。
小川町と長瀞町は板碑石材の有力な生産地。関東地域で5万基を超える緑泥片岩の板碑が存在しますが、その中心的な製作地と考えられています。

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板碑に使えそうな大きな緑泥片岩の塊も。

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埼玉県立嵐山史跡の博物館。比企城館跡群や板碑の展示が充実しています。

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博物館は菅谷館(すがややかた)跡にあります。鎌倉時代の武蔵武士である畠山重忠が居住していたといわれます。博物館に入るとまず畠山重忠のロボットが出迎えてくれます。

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博物館を見学したら菅谷館跡を散策。折を多用した堀が見所です。(本郭の出桝形土塁)
比企地区は中世城郭がとても多い。これは鎌倉街道に関係してくるのですが、鎌倉街道には「上道(かみつみち)」「中道(なかつみち)」「下道(しもつみち)」と3つの主要道があり、比企地区は上道が通っていたのです。要所だからこそ城郭が多いのですね。

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嵐山渓谷。昭和3年(1928)に日本で初めての林学博士である本多静六が当地を訪れた際、京都の嵐山に風景がよく似ていることから「武蔵国の嵐山(むさしのくにのあらしやま)」と命名されます。今では「むさしらんざん」ですけれど。冠水橋付近にて。

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旧日本赤十字社埼玉支部社屋。明治38年(1905)に埼玉県庁北側に建てられた洋風建築。昭和58年(1983)に嵐山に解体移築されました。19世紀の末にアメリカで流行したシンプルスタイルまたはコロニアルスタイルとも呼ばれるデザインの設計は山下啓次郎。ジャズピアニストの山下洋輔の祖父であるそうです。

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終盤突入でお買い物タイム。まずは「とうふ工房わたなべ」へ。
いつ行っても大人気の豆腐店。もちろんお味も美味しいですよ。

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小川町は酒も名産です。関東灘と異名をとる良い酒を醸す土地。
明治35年(1902)創業の晴雲酒造は90%が地元で飲まれている本当の意味での地酒を造っています。私もいくつか飲みましたが、綺麗なお酒でとても美味しいです。特にオススメは「おがわの自然酒」。地元の有機無農薬米を使った純米吟醸酒です。ラベルは、小川町に住み自分で漉いた和紙で版画作りを行っているアメリカ人版画家R・フレイビンさんによるもの。手作り感が最高です。お土産にどうぞ!

和紙、板碑、中世城郭などを巡る小川町の観光サイクリング。
ご興味ある方は是非ご一緒いたしましょう〜!


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池ヶ谷 誠 について

セブンヒルズアドベンチャー代表。東京近郊でアウトドアツアーを企画運営。MTB・トレイルランニング・シャワークライミングなどマルチにガイディングしています。1973年神奈川生まれ。
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