観光サイクリングin東松山は、埼玉県の東松山市と吉見町を巡ります。
埼玉県のちょうど真ん中あたりに位置する東松山。
2014年は東武東上線のちょうど開通100年になります。1914年(大正3)に池袋〜田面沢(現在の川越市と霞ヶ関の中間あたり位置した駅)が営業開始、1916年(大正5)に川越町〜坂戸町が開通、1923年(大正12)10月に坂戸町〜武州松山(現東松山駅)が開通、同年11月に武州松山〜小川町が開通、1925年(大正14年)に小川町〜寄居が開通。
近年、東松山駅周辺整備事業により駅前が改修されました。一際目を引く「東松山市ステーションビル」の外壁はレンガを使用。東松山市はオランダのヘルダーラント州にあるナイメーヘン市と姉妹都市提携していることからレンガを採用したようです。
まず最初は吉見百穴(よしみひゃくあな)へ。
古墳時代後期の横穴墓群の遺跡です。古墳というと前方後円墳など当時の権力者のお墓としての墳丘(土や石などを盛る)のイメージがありますが、横穴墓は自然の岩山などに小穴をいくつも掘っているのが特徴です。正確には墳丘をもつものを古墳、墳丘をもたないものを横穴墓と分類します。
吉見百穴は、文献にみられるのは江戸時代の中頃、本格的な調査は明治時代になってからです。明治20年に坪井正五郎氏によって大発掘が行われ、人骨、玉類、金属器、土器類が出土。坪井氏はこの横穴を土蜘蛛人(コロボックル人)の住居として作られたもので、のちに墓穴として利用されたものであると発表しました。
コロボックル人とな・・・夢がありますねぇ!
この吉見百穴は古墳時代とは違う歴史の一面も。戦時中に軍需基地として使用されたため巨大な横穴が数本通っています。危険箇所以外は通行可能になっています。
さて横穴墓に戻ります。高さのある穴は大人が立っても大丈夫。これだけ大きいと確かに住居説を発表したのも頷けます。すぐ隣にある松山城の兵器倉庫説もあったそうです。しかし、大正時代になると、考古学の発達によって日本各地で横穴墓が発掘されるようになります。住居説は覆され、古墳時代後期に死者を埋葬するために作られたものであることが明らかにされました。
現在は百穴どころか219穴が確認され、「吉見219穴」に。定期的に草刈りもされているので見栄えも良いです。遊歩道も整備されているので巡りたい放題。
ちょうど菊花展が開催されていました。
見事な大菊。
吉見百穴のすぐ隣に位置する岩室観音。
急峻な岩壁に挟まれるように建つ懸造り。ぱっと見ると三門のようですが、実は二階に観音様が祀られている観音堂なのでした。歴史は古く810〜824年頃からと云われています。松山城主が代々信仰し護持していましたが、1590年の戦によってお堂は焼失。現在のお堂は江戸時代(1661〜1673年頃)に再建されました。
観音堂の両サイドには88体の石仏が祀ってあります。四国八十八ヶ所を模したもので、拝めば四国八十八ヶ所を巡拝したのと同じ功徳があるとされているそうです。
観音堂の裏には胎内くぐりがあります。階段状にステップが削られた急斜面を登ると・・
じゃん!ハート型の胎内くぐりです。
岩室観音から松山城跡に登ることができます。
泥付きな上にかなりの急斜面。アウトドア好きな人限定のルートです。松山城跡には他に登りやすいルートもありますからね。
あまり訪れる人もいないのか薮っぽい箇所も。
松山城は鎌倉時代末期(1399年)に上田友直によるものという説が有力です。廃城は1601年の平山城。室町〜戦国時代にかけては、武蔵国中原の要衛として関東諸勢力(上杉、武田、北条など)による激しい争奪戦が展開されました。ここは本曲輪(ほんくるわ)、いわゆる本丸です。岩室観音から10分ぐらい登ると到着です。神社の跡も。
草ボーボーですけど、土塁や空堀など良好なコンディションです。ぐるぐると踏み跡がついており、観察しながら良い散歩になりますよ。遺構は東側にもあったのですが、昭和45年に東北自動車道造成のために採土され失われました。(現武蔵丘短期大学の敷地)
松山城跡の次はポンポン山へ。正式名称は玉鉾山(たまぼこやま)。標高38mと小さな山なのですが、北側は断崖絶壁の岩山になっています。中腹には高負彦根神社があり地元の信仰の厚さが伺えます。山頂から少し下ったあたりで地面を踏みつけると「ポン!」とよく響く箇所が本当にあるんです。是非お試しを。
標高38mですから少し登ると山頂に到着です。登りはちょっとワイルドな急な山道で、下りは緩やかな道を通ります。う〜ん、標高が低いだけに民家が近いぜ!
水田の灌漑用に造られた人工湖である八丁湖。湖畔には遊歩道がついており散歩やジョギングで賑わっています。遊歩道は自転車通行不可なので湖畔沿いを歩き黒岩横穴群へ。
黒岩横穴群も古墳時代後期に造られたと考えられています。吉見百穴のように観光化されていないので、逆にアウトドア好きにはグッとくるものがあるかもしれません。さて、この黒岩横穴群の規模が凄いのです。なんと500基以上あると推定されています。
文永弥陀浮彫大板碑。鎌倉時代中期、文永12年(1275)に刻まれた大板碑です。頭部が欠損していますが、状態の良い浮彫を観察できます。上部には梵字でキリーク、阿弥陀如来が見事に刻まれています。下に刻銘されており、文永拾二年と確認することができる。
ランチはよし味さん(うどん)を予定。(混雑状況によっては変更あり)
永府門樋(えいふもんひ)。近隣の水田への水源として明治34年に造られました。煉瓦造りの樋門等が河川流域に群を成して分布しているのは埼玉県だけの特徴だそうです。現存し状態がよい桁型二連構造は他にほとんど例がなく貴重な近代土木遺産です。
巌殿山正法寺(いわどのさんしょうぼうじ)。718年創立の古刹。門前町としての繁栄の面影を感じる表参道を抜けると仁王門があり、その先に長い石段がついています。さて、寺伝によると仁王像は運慶作のものだったそうです。残念ながら火災により焼失してしまったようですが、正法寺は源頼朝の命により復興したお寺ということを考えますと、運慶作の仁王像があったのかもしれませんね。
1322年に鋳造された銅鐘と1702年に建立された茅葺き屋根の鐘楼。銅鐘には無数の傷がついていて、豊臣秀吉による関東征伐の際に山中を引き回した時の傷だと云われています。また鐘楼は東松山市内の建造物では最古のものだそうです。
境内右手の岩壁には多数の石仏が岩肌に納められています。一体一体の石仏も見事ですが、多数の石仏が横並びしている様は圧巻ですよ。
同じく境内には樹齢700年と推定される大イチョウも。根っこが迫力ありますね。保護のため根は踏まないようにしましょう。
樹高約25m、根周りが約11mという大きさ。
黄葉の見頃は11月末から12月初旬に迎えます。綺麗でしょうね。
東松山市街に戻り島田屋氷店でかき氷タイム。他にところてんやおでんもあります。
創業明治44年という老舗の島田屋氷店。店内も完全に昭和にトリップできます。
史跡を中心に見所の多い東松山近郊をがっつりサイクリングしましょう。
結構な距離をサイクリングします。ウォーキングします。楽しみながらエクササイズ。
ツアー後は、東松山名物のやきとり(メインは豚のカシラなので「やきとん」ともいう)で一杯やるのもいいですよ〜。辛味噌つけて食べちゃって〜!(電車の方限定ね!)
そんな訳で皆様のご参加をお待ちしていま〜〜す!