富士山そして常念岳。

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先月下旬は富士山へ。

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そして一昨日に北アルプスの常念岳へ。

富士山と常念岳に共通しているのは修験道ということではないでしょうか。当たり前ですが修験道は、「山に籠って厳しい修行を行うことにより悟りを得る」というものですね。古神道と仏教が習合し、やや複雑な歴史を辿ります。一般的に修験道は奈良時代に役行者(役小角/634-701)が創始したとされています。山岳史家マルセル・クルツの「世界登頂年代記」には、西暦633年に役小角が富士山を登頂と記されています。平安朝に記された「富士山記」にも富士山頂上の噴火口の模様が書いていますから、もうその時代には登られていたことはまず間違いないでしょう。修験道は平安時代から盛んになり、江戸時代に最盛期を迎えます。1613年に修験道法度を定め、真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派のどちらかに属さねばならないことになります。修験道当山派は京都伏見の三宝院であり、修験道本山派は八ツ橋で有名な京都左京区の聖護院です。そして明治に入り神仏分離令、明治5年に修験禁止令が出され衰退していきます。

というのが一般的ですけど、

どうやら富士山や修験道にまつわるエピソードは縄文時代まで遡れるようだ。まず富士山。コノハナサクヤヒメが祭神ですよね。古事記にはチョロっとしかコノハナサクヤヒメについて描かれていませんが、ホツマツタエにはバッチリ描かれているのです。というか古事記のコノハナサクヤヒメ&ニニギノミコトの描かれ方は最悪です。何かのバイアスがかかって大化の改新から奈良時代にかけて編纂されてしまったのでしょう。コノハナサクヤヒメが富士山に登り西を見てニニギノミコトを想う。ニニギノミコトが高千穂峰に登り東を見てコノハナサクヤヒメを想う。美しいじゃないですかホツマツタエ。この時代の富士山はハラミ山と呼ばれていたようです。富士山という新しい山名に変わったのは第7代天皇である孝霊天皇の時。西暦でいうと紀元前215~290年の頃です。もう、なんていうか、気が遠くなるほど昔です。孝霊天皇は欠史八代に当たります。要は第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇の実在が証明できないというものです。これも古事記がいけないんですよ。意図的に欠落しちゃっていますから。でも埼玉古墳群の稲荷山古墳から出土された金錯銘鉄剣に8代孝元天皇の第一皇子大彦命の実在を示す系譜が刻まれていたことから、まぁ、孝霊天皇が実在したというのも架空の話とは思えないのです。

そしてホツマツエに記されている修験道。アマテル(一般的にはアマテラスオオミカミ)の頃のこと。ねじ曲がった人というのは縄文時代にもおりまして「ハタレ」と言うのですわ。山岳修行はハタレ更生の場だと記されているのです。実に興味深いですね。性根が捻じ曲がっていない人は山岳修行する必要はないということです。そもそも仏教に五大という基本理念があります。地・水・火・風・空。これもホツマツタエを読み解くと縄文神道の基本理念であり、時系列から縄文神道が仏教の源流になったと考えるのが自然ではないでしょうか。ちなみにホツマツタエではアマテルは男性です。近年日本各地から出土された考古学の観点から、そして直感から、私は古事記よりホツマツタエを断然支持します。

5年前に青森県八戸市の是川中居遺跡から出土した木製品が、現存する世界最古の弦楽器の可能性があることが分かりました。3000年前の縄文琴なのですよ。またひとつ、ホツマツタエを裏付ける出土。稲作も縄文時代にはあったことは、岡山の朝寝鼻貝塚の土の中から6000年前のものが検出され証明されていますしね。

ホツマツタエ、日本の文化や歴史に興味がある方は必読の文献です。


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池ヶ谷 誠 について

セブンヒルズアドベンチャー代表。東京近郊でアウトドアツアーを企画運営。MTB・トレイルランニング・シャワークライミングなどマルチにガイディングしています。1973年神奈川生まれ。
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